No.10 感情をよく見つめる時間
こんばんは。
マインドフルネス&ヨガについて更新している中村美日子です。
ヨガをすると随分心が変わります。
そういう人をたくさん見てきました。
その仕組みが何なのか知りたくないかな?と思って、こうしてブログやラジオで話しているというわけです。
ここで覚えておいていただきたいことは、マインドフルネスの実践はいわゆる「気づき」というものに全てつながっていきます。
どんな動作・行動・思考であってもそこにおいて自分の気づきの連続がある限りマインドフルネスと言えるでしょう。
さて、今日のテーマはその中で「感情」というものはどこから来て、どこに行くのか?についてです。
前回、「感情はオナラのようなもので、ふと沸いて、消えていく」のでそこにとらわれる必要は全くないという話をしました。
ではその感情はどこから湧き出し、どこに消えていくのかについてというわけです。
例えば、ある欲が浮かびます。
欲、と聞いて何が出てくるでしょう。
私は今日数年ぶりにポテトチップスを食べており、それを食べながらこれをかいています。
現在0時21分。
この時間にポテトチップスを食べることはきっと体に良くないです。
そして、ビールを飲もうか考えながらおります。
これが欲です。
自分ではそのビールを飲むという選択をできる限り取りたくないです。
そこでどうするのか?
その欲が生まれてきたね、「あ―――私はこんな時間にビールを飲みたいと思っているね」と感じることです。
まずよく自分の感情に気が付くことです。
そして、そのままにしておく。
感情があって、実際に行動することと、
感情はありながら、行動しないことには大きな差があります。
だから、どんな感情も感じていいといつだかの記事で書きました。
はい、こちらです。
http://bijyu.net/private_ambassador/detail.php?amb=mico_nakamura&n=4/
「あービールを飲みたいな」と思う欲を感じた結果、ただ行動をとらずにこうしてパソコンに向かっています。
そして、その感情を消すわけでも見張るわけでもなく、一心不乱にキーボードに打ち込んでいます。
そんなことをしているうちに、一瞬だけ、ビールのことを忘れます。
数秒間はビールのことを忘れます。
こうして感情があると気づきながら、ただ目の前のことを一心不乱に集中して行うことによって、今あるその感情は前回お伝えした話でいうと、「まるでオナラ」のように消えます。
「あれ、ビールなんて飲まなくてもいいかも・・・・」
と思った途端にまた飲みたくなりますが、感情の波が過ぎ去っていきます。
ですから、どうしようもない感情に巻き込まれたら、ただそこにあるということを確認しながら、ただ目の前のことに集中していくと、その感情はすっかり消えてしまいます。
感情が消えていくのを、ただ待ちます。
私が大学入試の現代文の問題に出た文章に感動し、いつも何かの感情が浮かんだ時に、その事を思い出します。
“待つ”という行為に対する努力ほど意味のないものはない。
待つことは一生懸命待っても、ただ待っても、時間を推し進めることができないのだ。
待つという行為は、待っていると思えば、その時間は待っていることになり、時間を見張っているので非常に長く感じる。その時間の長さに耐えきれず、本屋さんに入り時間をつぶそうなどと考える。そして本に夢中になった瞬間にもう待っていないも同然なのである。(出展は不明です。ごめんなさい。)
この文章はいつも待っているときに浮かびます。
感情を見張ると、その感情が居座ります。
だから目の前のなんでもない側面に注目し、それにただ注力すると、感情がふと消えるわけです。
感情が消えるのを待つときは、本屋で時間をつぶすかのような行動をとり、何かに集中して感情が消えるのを待つということです。
数分かもしれないし、数日かもしれません。私はたいてい長くて1週間で大分変ります。
その何かとは、呼吸でもいいし、手の形を観察してもいいし、目をつぶって目の中の色を観察することでもいいです。
そして、感情が薄れた後で少し感じるべきことがあります。
それが感情にとらわれている時と、薄れた後では大きな差があるということです。
私のビール飲みたい!!という欲ですが、
先ほどまではビールが飲みたかったけど、今は「ビールを飲みたい私がいたね」に変わっています。
このビールの例を怒りの感情だとしたら、最も怒っている時にその感情を確認します。
でも怒らずにただ目の前のことに注意を向けるか、「鼻から吸っている、鼻から吐いている」と確認します。
そして、もう一度感情を見つめると、少しだけ「怒り狂いそうな自分がいたね」に変わっています。
他の感情も同じです。
この過去になっていく感覚は、「大嫌いな相手を受け入れた時や、ほしくてたまらないものを諦めた時の清々しい気持ち」に似ています。
ということになると、実はここで気づきが生まれませんか?
実は私たちは何も握ってなんかいないし、誰とも戦ってないし、どこにも向かってないのですね。
自分というものが、「自分という一貫したアイデンティティ」というものがあると信じている限り、そこにそれが存在しているだけです。
それは握っていたいものなら握ってもいいけれども、実は自分が握りしめていなければもうそこには存在しないものです。
だから、どの瞬間からでも始められます。
諦めないで。
もうだめ、もうむり、どうせ・・・
と思うのは、そう握っているからです。
最後までありがとうございました。
Mico
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全米ヨガアライアンス認定ヨガインストラクター
中村 美日子